「エスはSisterhoodの頭文字・略」か?

(1)「エスはSisterhoodの頭文字・略」か?

 皆様ごきげんよう。はじめての方ははじめまして、LIKE A LILY.の嘉川馨です。


 普段は幻覚百合小説を書いたり、戦前の女学生の投書をまとめて同人誌にしたりしてます。
 

 今回は、ネット上のあちこちで見かける、エスはSisterhoodの頭文字・略」であるという言説について、ご説明させていただきたく、こうしてブログにしたためました。


 私の知る限りではありますが、この言説は誤解に基づくものであり、正しくはエスはSisterの頭文字・略」だと考えています。


 事情をご存じない方は「一体どう違うのか」「何が問題なのか」「どうしてそう考えるのか」あまりピンとこないかと思います。ですので僭越ではありますが、私なりに詳しく解説させていただきます。


(2)エスの意味とその由来

 そもそもエスとは何か、一体どのように定義されてきたか、いくつか例を見ていきましょう。


 まずは戦前、エス文化が隆盛を誇った当時、川端康成は『乙女の港』の中でエスっていふのはね、シスタア、姉妹の略よ。頭文字を使ってるの」*1とその由来を説明し、少女たちの関係を瑞々しく描いています。


 実際、『乙女の港』が刊行される十年以上前に、少女誌上に掲載された作文(投稿小説)にも、「何卒私とシスターの誓いを許して下さい」*2といった一節があります。ここからも、当時の女学生らが自分たちの関係を「シスター」と呼んでいたことが分かります。

 
 続いて現代。エスシスターフッドの関連を早期から指摘していた久米依子によれば、「「シスター」の略である「エス」は、主として女学生同士が恋愛のようにシスターフッドを深める仲を、やや隠語的に指す」*3と説明されます。
 

 大正・昭和期の出版美術の研究を専門とする内田静枝は、エス「大正〜昭和にかけて流行した女学生風俗で、主として上級生と下級生が〈姉妹〉の契りを結び、カップルとして親しく交わること」*4と説明しており、またその由来を「英語の「Sister」の頭文字をとったもの」*5としています。

 
 作家・嶽本野ばらもまた「シスター(sister)の頭文字をとって「エス」」*6が由来であるとしました。


 さて、ここまでの例でお分かりかと思いますが、戦前の文芸誌や文芸作品においても、後世の研究解説においても、エスはSisterの頭文字・略」と説明されていました。エスはSisterhoodの頭文字・略」ではありません。


 久米が早々に指摘していた通り、エスを今で言うところのシスターフッド的関係と見なすことは可能です。しかし、明治〜昭和前期の女学生文化の中に、シスターフッド(Sisterhood)という語彙は恐らく存在せず、また「エスはSisterhoodの頭文字・略」と説明されたこともありません。


 では、この言説は一体いつ、どこで現れたのでしょうか?


(3)ネット上の記述を巡って

 私が「エスはSisterhoodの頭文字・略」言説の存在に気づいたのは、百合魔王オッシー(@herfinalchapter)氏のはてなブログ記事*7がきっかけです。記事上では、

エス」とは「シスターフッド(Sisterhood)」の頭文字

「百合」の“源流”は「エス」にあらず~『マリみて』を中心とした「百合史観」の試論 - 百錬ノ鐵

とされていますが、残念ながら出典は明記されていません。


 さしあたって、まずはGoogle検索を試したところ、ニコニコ大百科の「エス(sisterhood)」項*8がヒットしました。ここでもエスとは、sisterまたはsisterhoodの頭文字」とされていますが、やはり出典は明記されていません。


 余談ですが、Wikipediaエス(文化)項目*9では、「Sisterhoodの頭文字」という説明はなく、あくまで「Sisterの頭文字」としています。


 確認できた範囲では、この言説に関わるネット上の一番古い記事は、2008年のこの書評*10です。
 ここで紹介されている書籍『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』は後ほど詳しく触れますが、結論から先に述べると、「エスはSisterhoodの頭文字である」言説は、現状確認している限り同書が初出となります。


(4)『ユリイカ』百合特集の態度

 前項では、ネット上に流布する「エスはSisterhoodの頭文字・略」言説の多くには、出典が明記されていないことを説明しました。加えて、この言説は基本的に匿名個人のページで展開されていたり、wikiなど不特定多数の人間が編集できるページで確認できます。


 しかしながら、いずれのページもまるで前提知識や共通見解のように書かれていることから、個々では明記されていなくても、大元にはそれなりの信頼性と発信力のある、具体的に言えば出版メディアに類する典拠があったと推測できます。

 
 紙媒体でまず確認できたのは『ユリイカ』2014年12月号です。同書で「エスはSisterhoodの頭文字・略」言説が確認できるのは2箇所、『マリア様がみてる』の今野緒雪のインタビュー記事と、嵯峨景子による論考です。


 前者のインタビュー記事では、今野の発言に「昔の女学生の「S」(Sisterhood)」*11と括弧づけで補足されています。しかし、記事中では今野自身エスに疎かったと発言していること、またインタビューでの今野の発言に対する補足であることから、これは聞き手である青柳美帆子あるいは編集部による補足であると考えられます。


 後者の嵯峨景子の論考では、末尾の脚註にてエスはSisterhoodの頭文字Sを取ったもの」*12としています。ここでもやはり出典の記載はありません。加えて嵯峨は別の著書にてエスとは「Sister(シスター)」の略で、少女同士の親密な関係を示す言葉として女学生文化のなかに根付いていた」*13と説明しています。ここではSisterhoodに触れていないことからも分かる通り、嵯峨はそもそもエスという言葉の語源について、ほとんど拘泥していないように見受けられます。


 『ユリイカ』の百合特集は、いまだに百合ファンの間で話題に上る有名な一冊で、現在も電子書籍が配信されています。思うに、この特集を見て「エスはSisterhoodの頭文字・略」と考える方も増えたのではないでしょうか。にも関わらず、同誌上ですらこの言説の出典が示されおらず、当たり前の情報であるかのように流されています。


 一方で『ユリイカ』は2014年刊行ですが、先掲のニコニコ大百科の記事などは、2011年頃には既にSNS上で拡散され始めています。つまり『ユリイカ』以前から「エスはSisterhoodの頭文字・略」言説は、ある程度ネット上で認知されていたとも考えられます。


(5)言説の出処を探して

 前置きが長くなりましたが、先に触れた現時点の初出資料について説明いたします。稲垣恭子『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』は2007年に中央公論社より出版されました。


 同書では「エス」はsisterhoodの頭文字のSをとったもの*14と説明しています。しかし、この記述についても出典は示されておらず、また同書文中で数多く引用されている戦前の女学生らの手紙を見る限りにおいても、「エスはSisterhoodの頭文字・略」といった説明は確認できませんでした。


 同書は2007年刊行、ニコニコ大百科は2008年サービス開始ですので、同サイトの記事よりも早く上梓されたということになります。ニコニコ大百科での該当記事の掲出が2011年頃として、直接稲垣の記述を参照していたかは不明ですが、稲垣の記述が本当に初出であれば、様々な媒体を経由しながらネット上にも広まったのかもしれません。


(6)エスシスターフッド

 先述の通り、エスシスターフッドを深める関係であるという見方は、遅くとも2001年には久米の論考に現れています。


 しかし、戦前の少女雑誌や女学生らの文章からは、現時点で「エスはSisterhoodの頭文字・略」という説明を見ることができていません。あくまで当時から「エスはSisterの頭文字・略」と説明されています。


 もちろん確認できていないだけで、「エスはSisterhoodの頭文字・略」という説明が、当時どこかでされていたのかもしれません。しかしながら、そもそも戦前の女学生らがSisterhoodという単語を知っていたかどうかも、正直なところ疑問符がつきます。たとえば1929年刊行の『新英和中辞典』にもSisterhoodと項目はありますが、第一義に「婦人會」*15となっています。


 また、フェミニスト神学者である一色義子は、自身が受けていた1940年代の<シスターフッド教育>を振り返って、こう記しています。「センチメンタルな女学生が上級生や宝塚歌劇の女性にあこがれ、秘密に付き合うといった少女雑誌や少女小説などがあったのですが、河井道は恵泉では誰でも上級生や下級生も皆、友達になっていい、オープンないい友達になれる健全な付き合い方を奨励しました。どんなにお互いが仲良しでも、他者を排除するような仲良しではだめ、それは健全ではないと。シスターフッドという言葉こそ使われていなかったのですが、いま思うと、シスターフッドの本質で互いの自立性、自主性をしっかりと各自が心に止める教育であったのです」*16


 この文からは「戦前の、今で言うところの<シスターフッド教育>においては、当時はまだシスターフッドという言葉が使われていなかったとこと」「当時の<シスターフッド教育>に則れば、いわゆるエス関係はむしろ健全なシスターフッドから遠いもの捉えられていたこと」が読み取れます。この考え方は、現代でいうシスターフッドのイメージとは必ずしも一致しません。


 しかし、仮に当時の女学生の間で、このような意味でSisterhoodという言葉が定着していたとすれば、かえって疑似姉妹関係の語源になどなり得ないのではないでしょうか。


(7)終わりに

 まとめです。0年代以降「エスシスターフッド的関係である」という解釈が定着していく過程で、「エスはSisterの頭文字・略」という本来の由来が、「エスはSisterhoodの頭文字・略」とすり替わって広まってしまったものだと考えられます。


 私個人としては、現代のシスターフッドの文脈の中で、エスを再解釈することは決して間違っていないと思います。ですが、その由来が歪曲されている疑いがあるにも関わらず、そのことを出版メディアすら顧みようとしない現状に、強い懸念を抱いています。


 万が一「エスはSisterhoodの頭文字・略」であるという戦前の記述をご存知の方は、お手数ですがご指摘くださると幸いです。また、現時点でこの言説の初出は2007年の稲垣の資料だと考えていますが、戦後であってももっと早い記述をご存知の方がおりましたら、こちらもぜひお知らせくださいませ。


 最後に宣伝ですが、この記事でエスについて興味を持たれた方がいましたら、『エスの境界』もぜひチェックをお願いします。戦前の少女雑誌に掲載された投稿小説をまとめた同人誌です。


 それでは、長々とお付き合いありがとうございました。
 

(2021/5/11追記)
ニコニコ大百科の記事は、同ページの履歴によれば、 2011年7月17日に作成されたようです。


(2021/5/12追記)
 ニコニコ大百科の記事は、執筆者のみそぎ氏に確認したところ、「稲垣の『女学校と女学生』を直接参照して記述した」*17旨確認が取れました。なお、この項目は現在確認できる限り、同言説を記載したwebページでは2番目に、web百科事典では1番古い記事です。

(2021/5/12追記) 
ニコニコ大百科の記事について、記事執筆者のみそぎ氏にご対応をお願いし、エスとは、sisterまたはsisterhoodの頭文字」という記述を「エスとは、sisterの頭文字」と訂正いただきました。また、記事名も「エス(女学生文化)」に訂正いただきました(2021年5月12日現在)。
dic.nicovideo.jp
なお、本文の脚注に使用しているリンクは、2014年時点のアーカイブを利用しているため、古い記述が閲覧できるようになっております。

*1:川端康成(2011). 『乙女の港 少女の友コレクション』. 内田静枝解説, 実業之日本社, 336, p.21.

*2:優美(1922).「姉様に別れて」『少女画報』. 東京社, 11(3), p.85.

*3:久米依子(2001).「エス 吉屋信子花物語』『屋根裏の二処女』」『恋愛のキーワード集 國文學増刊(2001・2)改装版』. 218, p.152.

*4:川端. 前掲書. pp.320-321.

*5:弥生美術館・内田静枝編(2014). 『新装版 女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』. 河出書房新社, 128, p.14.

*6:吉屋信子(2014). 『屋根裏の二処女』. 嶽本野ばら解説, 国書刊行会, 352, p.321.

*7:「百合」の“源流”は「エス」にあらず〜『マリみて』を中心とした「百合史観」の試論 - 百錬ノ鐵

*8:エス(女学生文化)とは (エスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

*9:エス (文化) - Wikipedia

*10:http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:iz9VTQ9HVRYJ:whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-818.html&hl=ja&gl=jp&strip=0&vwsrc=0

*11:今野緒雪(2014).「『マリア様がみてる』のまなざしーー“姉妹”たちの息づく場所」『ユリイカ』. 青柳美帆子構成, 青土社, 46(15), p.40.

*12:嵯峨景子(2014).「吉屋信子から氷室冴子へ 少女小説の「誇り」の系譜」『ユリイカ』. 青土社, 46(15), p.65.

*13:嵯峨景子(2016). 『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』. 彩流社, 296, p.14.

*14:稲垣恭子(2007). 『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』. 中央公論新社, 250, p.95.

*15:岡倉由三郎編(1929). 『新英和中辞典』. 研究社, 1222, p.735.

*16:一色義子(2012). 『河井道と一色ゆりの物語 めぐみのシスターフッド』. 一色義子, 264, pp.149-150.

*17:https://twitter.com/misogi1341/status/1392312575241510912